本日2回目の投稿です。今回は両親について書いていきます!
先日nanaの過去について書きました
そのブログの中で親について「よくも悪くもどうでもいい存在なのかもしれない。私って薄情なんかな。」って書いたんです。それがなんか引っ掛かりがあった。
毎日のイメージングで変化
毎日朝晩イメージングで、親に「生んでくれてありがとう」といってからご先祖様に感謝するというのが日課なので昨日もしてたんだけど
生んでくれてありがとうって言ったあとに「大好きだよ」って言いたくなっておそるおそるだけど「大好きだよ」って言ってみたんです。
あと感謝した後にいつも札束を渡してるんだけど最近両親は遠慮なく笑顔で喜んで受け取ってくれるようになりました。
もちろん渡すほうも抵抗がなくなってきた。(前までは怖かった)
それが昨日の話。
自愛のパワーで意識に変化
自己肯定感や親への愛についてですが
普通、、親が大好きって人は。
「親に大切にされて愛を感じて、自分は愛されている存在なんだって幼少期に確信出来て
親にめっちゃ感謝してて仲がいい。そして自分のことも好き。」
みたいな愛されてるのが前提で信頼関係が構築されていくのが一般的ですよね。
でも私は幼い頃に親との関係をあまり構築出来なかった。
だから自信もなく自分が好きではなかった。
でも自愛することによって自分が大好きになった。
そしたら両親はいつの間にか大好きな自分を生んでくれたかけがえのない人になった。
その気持ちの変化があったから「よくも悪くもどうでもいい存在なのかもしれない。」って書いたことに違和感を感じたのかも。
「大好きだよ」って言いたくなったのかも。
根底には本当は愛が隠れている
どんな親でも子供は親を求めますよね
愛されたいって思いがあるから。
邪険にされても裏切られても大切にされなくても。
でも自分が望んでいるような扱いをされなくて許せない気持ちもある。
そしてその二つの真逆の想いがあってうまく関係が築けないから自己嫌悪に陥る。
私の中でそんな葛藤があったのかも。
でも自愛でこの葛藤さえも浄化されるんだ。ってまた新たな気付きがありました。
【自愛については下記記事にまとめています】
無意識に作り上げていた親の金銭的イメージ
私の両親は団地に住んでいます。3dkで結構広いはずなのに汚すぎて寝るところ以外は足の踏み場がないような状態です。
母がどこからか古い衣類とか(多分ごみから)拾ってくるから捨てても捨てても溜まっていく一方。。
だから私の両親のイメージは「家が汚くてお金(貯金)なくて病気もしてる」
なんです。これは昔から変わらない。
なんで私ってお金に執着しちゃうんだろうという疑問
私お金大好きなんです。
アファもお金メインでやってる。だから今何の心配もないんだけどまだ執着ある気もするというかなんかひっかかりがある。胸の中に。。
言い表せれないだけどなにかある。って薄っすら思ってた。
多分ねここも親の貧乏イメージが大きすぎてそれがブロックになってるんだ。と思いました。
そしてそのイメージを変える時が今だと感じました。
親に家買ってあげた
まず団地は手放してもらった。
結構お金かかった。でも私はお金めっちゃあるから大丈夫。
清掃業者に頼んで全部撤去してもらった。100万位した。やはり不要な物はすぐに捨てるべきだ。
親とは約束した。「もうごみ溜めこまないでね」
まあ守れなかったとしても定期的に清掃員入ってもらえばいいや。
んで今住んでいる近くに家を買ってあげた。
2階建て。孫も泊まりに来るようになった。キッチンが広いから皆で勝手に料理作ってあげてる。
父は本を読むのが好きだ。勉強も出来て物知り。書斎があるのが嬉しそうだった。
母は畑いじりが好きだ。家庭菜園の野菜を嬉しそうに届けてくれる。
こんな感じでイメージングで買ってあげたよ。
うん!大満足(*^^*)
今日から両親は素敵なお家に住んでいる裕福で健康な夫婦だ。
そんで米寿とかそういうお祝いも家族皆で出来るんだ。
(完)